とある保育園の保育が目指すもの

Pocket

このような保育ができる環境を作るのは、簡単なことではないというお話を聞きました。
一般的な保育よりひとりひとりに細やかな配慮をすることが要求されるし、
それは効率的に仕事を片付けることからどんどん遠ざかることであろうし、
長いスパンで子どもを見守るということは、子どもを信じて、そして自分の保育を信じて、待つということが必要であろうし。
そんな忍耐が必要とされる保育を支えるのは、
保育士同士の「振り返り」を大事にすることのようでした。

私も当日「振り返り」に参加しましたが、それはとても濃密な時間でした。
その日にあった出来事を淡々と洗い出し(良いも悪いも評価せず)、
そこからなぜその出来事が起きたのか・・・関連する事柄を、拾い、発展させていき・・・
「正解」はなくても、必ずある「気付き」を活かしていこうとするその保育の姿勢が、
子どもたちの生きていく力を100%信じる保育のベースになっているのだと思いました。

就学後のギャップを問題視されたり、そもそも子どもを教育するという視点からすると野放しで危険であるという批判、価値観の合わない保護者との対立もあり(園との方針が合わなければ、転園をすることも)。
それでも保育者は、保育の方針を守っています。

意思を十分に尊重されてやりたいことを貫徹できた子どもたちが、
自分も他者も肯定し、しなやかに生きる力がもてることを信じて。

 

私は、とても激しく、共感しました。

自分の生きる力を肯定でき、発揮でき、
他人のそれも尊重できること。

生きるのに必要なのはこのことだけなのではないか?
そもそも大人が子どもにしてあげられるのって、
そのベースを作ってあげることだけ、なんじゃないか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です